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発表一週間前に吐き気、喉の痛み、だるさに襲われて
寝込んでる場合じゃないのは明白だから自己暗示
吐き気は食生活の崩れ、喉の痛みはタバコの吸いすぎ、だるさは寝不足
思いの外騙し通せるものです
しっぺ返しは大きくなったけれども
//
夏影宅には風邪薬というものがありません
薬と名の付くものは腹痛に効く薬だけ
四年間、思いの外過ごせるものです
寝込んでる場合じゃないのは明白だから自己暗示
吐き気は食生活の崩れ、喉の痛みはタバコの吸いすぎ、だるさは寝不足
思いの外騙し通せるものです
しっぺ返しは大きくなったけれども
//
夏影宅には風邪薬というものがありません
薬と名の付くものは腹痛に効く薬だけ
四年間、思いの外過ごせるものです
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卒論発表終了!
質疑応答で若干の不満は残るけれども、概ねいい発表が出来たと思います
さて、あとは卒論に修正をかけて、それからは院への準備かな
あぁ、先輩達や技官達への贈り物を作らなければ
我々の研究室ながらの、鋳造で作成された灰皿やジンギスカン鍋を送ろうと思っています
さぁ、学部生最後の仕上げだ
とりあえず、今はゆっくりと布団で寝たい
質疑応答で若干の不満は残るけれども、概ねいい発表が出来たと思います
さて、あとは卒論に修正をかけて、それからは院への準備かな
あぁ、先輩達や技官達への贈り物を作らなければ
我々の研究室ながらの、鋳造で作成された灰皿やジンギスカン鍋を送ろうと思っています
さぁ、学部生最後の仕上げだ
とりあえず、今はゆっくりと布団で寝たい
デスマーチ Phase 1終了

これよりPhase 2 卒論発表会という名の公開処刑の舞台の準備に移ります
//
とりあえず論文は完成しました
うちの大学は論文の提出というのはなく、担当教官及び主任の承認が貰えれば、論文は手元に残ります
つまり、承認さえ貰えれば、あとは自分が満足するかどうかになります
卒論発表会以降に修正をかける人も多く、教員もそれを推奨しています
何故なら、手元にある論文は研究室に置かれ後輩達が見るからです
卒業論文は正規の論文と同じく参考文献と成り得るため、半端なことをすると後輩が困るわけです
私は院に進むので、勿論修正をいれますけどね
問題はここから
卒論発表会を成功させるか否かが卒業の鍵になります
学科の教員全て及び見学に来る学生の前での発表会
修論発表会で感じたあの空気での発表
緊張するけど、自分の一年をぶつけに行く
それが出来ずに院に進めるか
さて、来週の金曜日
勝負はそこだ
これよりPhase 2 卒論発表会という名の公開処刑の舞台の準備に移ります
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とりあえず論文は完成しました
うちの大学は論文の提出というのはなく、担当教官及び主任の承認が貰えれば、論文は手元に残ります
つまり、承認さえ貰えれば、あとは自分が満足するかどうかになります
卒論発表会以降に修正をかける人も多く、教員もそれを推奨しています
何故なら、手元にある論文は研究室に置かれ後輩達が見るからです
卒業論文は正規の論文と同じく参考文献と成り得るため、半端なことをすると後輩が困るわけです
私は院に進むので、勿論修正をいれますけどね
問題はここから
卒論発表会を成功させるか否かが卒業の鍵になります
学科の教員全て及び見学に来る学生の前での発表会
修論発表会で感じたあの空気での発表
緊張するけど、自分の一年をぶつけに行く
それが出来ずに院に進めるか
さて、来週の金曜日
勝負はそこだ
卒論の目処が立ってきたのでたまに更新を。
卒研を長々とやってきて、あとは書き上げて提出。
振り返ってみると短い一年だったけど、充実はしていたなぁ、と思う。
何より、研究内容に関して詳しくなったのは大きい。
入ったときには右往左往。
色々やって、論文読んで、初めてスタート地点に立った気がする。
卒研の一年はあくまで義務的なことで、自分の意思と知識をフルで活かせるようになるのは院に入ってからだと俺は思う。
本来論文のテーマを自由に決められるようになるのはドクターにいってからだけど、うちの研究室は教授に頼み込めば好きなことがやれる。
出来れば、修士論文とは別に、もう一つテーマを持って行動したいな。資材と協力者の都合があえばだけど。
これからの大学院の生活を考えるとわくわくしてくる。
色んな知識を得た今でも、知らないことが多すぎて、解明されてないことが多すぎて、
でも、そんな状況だから、何かを知るのがすごく楽しい。
何かを研究して、知らないことを知って、初めて解明されることがあって。
研究者というのは子供と一緒だ。
色々な事を知るのにわくわくし続ける、そんな人種だ。
根っからの研究好きの集まりなんだ。
そうじゃなきゃ、誰が研究なんてするものか。
研究者は仕事をしてるんじゃない。
自分の好きなように遊んで、その結果を社会が仕事と認識しただけだ。
研究者は仕事なんてしていない。
卒研を長々とやってきて、あとは書き上げて提出。
振り返ってみると短い一年だったけど、充実はしていたなぁ、と思う。
何より、研究内容に関して詳しくなったのは大きい。
入ったときには右往左往。
色々やって、論文読んで、初めてスタート地点に立った気がする。
卒研の一年はあくまで義務的なことで、自分の意思と知識をフルで活かせるようになるのは院に入ってからだと俺は思う。
本来論文のテーマを自由に決められるようになるのはドクターにいってからだけど、うちの研究室は教授に頼み込めば好きなことがやれる。
出来れば、修士論文とは別に、もう一つテーマを持って行動したいな。資材と協力者の都合があえばだけど。
これからの大学院の生活を考えるとわくわくしてくる。
色んな知識を得た今でも、知らないことが多すぎて、解明されてないことが多すぎて、
でも、そんな状況だから、何かを知るのがすごく楽しい。
何かを研究して、知らないことを知って、初めて解明されることがあって。
研究者というのは子供と一緒だ。
色々な事を知るのにわくわくし続ける、そんな人種だ。
根っからの研究好きの集まりなんだ。
そうじゃなきゃ、誰が研究なんてするものか。
研究者は仕事をしてるんじゃない。
自分の好きなように遊んで、その結果を社会が仕事と認識しただけだ。
研究者は仕事なんてしていない。